考えることと 思うこと
ども さざれ石です。
表題は最近、社内のミーティングでさざれ石がよく使っている
ワードです。
考える と 思う の違いについて深く考えてみたことってありますか。
さざれ石は混同して生きてきましたが、最近は実感としていろいろ感じ、
今は自分の中で流行しています。
ネットなんかで調べてみるとだいたいこんな感じで大差ないです。
ここでさざれ石が直面するのは、これを混同している輩が多いと
いうことなんです。
だからどうしても会話が噛み合わない。
「〇〇がいいと思うんです。」
「✖︎✖︎と思ったんですが」
「△△はいけると思います」
「□□にこだわって仕事をしたいと思います」
「それは無理だと思います」
「私は頑張ってると思います」
全部、感想なんですね。しかも全く責任も主体性もない。
主体性ではなくワガママと自分目線だけがたっぷりと込められています。
返事、判断のしようがない(笑)
思うと、考えるの違いが理解でき、考えて発言できるようになれば、
論理的に説明、報告、など出来るようになります。
理論がないのは何も考えてないからってことです。
何がこういう人種を量産してしまったのだろうか。
往々にしてこの手の考えない輩は自身に置き換えての想像力が欠如します。
主体性がないのに、噂話だけはやたら詳しかったりします。
「〇〇で火事があったらしい、二人亡くなったらしい」
ここから正常に発達した人間は
「うちの火の元大丈夫か、会社は?」など自身の身の回りなどに
置き換え想像力を働かせ始めます。
「亡くなった人は〇〇で働いてたらしい」
「〇〇の学校行ってたらしい」
「近所の評判は△△だったらしい」
「被災した××さんは○○の同級生」
と、どうでもいい情報に終始する。
なんかワイドショーとか見てるとこんな感じですよね。
時間の無駄です。
自分自身は情報のインプットは出来るだけ多角的にかつ正確に、
また、比較するための疑似事項の情報も多くほしいですね。
自身の中で関連付けなどを経て処理して、
必要に応じてアウトプットしていければと考えるさざれ石の
理窟っぽいブログでした。
では ( `ー´)ノ
アスを考える力 株式会社アスカカンパニー